【アジア大会 8月19日(日)ごご6時30分 大会第1日 TBS】

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【アジア大会 8月19日(日)ごご6時30分 大会第1日 TBS】
《アジア大会の歴史的なシーン②》
夏のバンコクを2時間21分台で独走した高橋尚子
2年後の五輪金メダリストが世界に強烈アピール

 1998年バンコク・アジア大会は日本陸上界としては伊東浩司の男子100m10秒00と、高橋尚子の女子マラソン2時間21分47秒。2つのアジア記録が印象に残る大会だった。後世から見れば10秒00の方がアジア記録・日本記録として長く残ったが、当時世界に与えたインパクトとしては、暑さの中をスタートから独走した2時間21分47秒の方が大きかった。
 高橋はバンコクから帰国時の取材に、以下のように話している。
「(独走は)作戦というよりも自分との勝負でした。自分のペースをゴールまで維持し続けることができるかどうか。(自分のペースとは)練習では16分30秒くらいで20km、30kmと走っていましたから、そのくらいですね。(世界最高のペースを35kmまで上回っていたが)やはり30kmからはきつかったです。世界最高は難しくなりましたが、これで日本記録まで出せなくなったらもったいない、と思って頑張りました」(陸上競技マガジン1999年1月号から抜粋)
 それまでの日本記録は高橋が同年3月の名古屋国際女子(現在の名古屋ウィメンズ)で出した2時間25分48秒。女子マラソンのレベルを一気に引き上げた走りだった。

 4年に一度のアジア大会が8月、インドネシアのジャカルタで開催される。東京五輪前最後の総合競技会として重要度も、注目度も大きい大会だ。陸上競技の日本勢はアジアで勝つこと、あるいはレベルの高いアジア勢を相手にしっかりと戦うことが、来年のドーハ世界陸上、2020年の東京五輪へとつながっていく。
 そのアジア大会を面白く観戦するために、今の視点で見ても興味深い歴史的なシーンをピックアップして紹介していく。

 当時の世界記録は2時間20分47秒。高橋はちょうど1分届かなかったが、世界歴代5位の好タイム。数字だけを見ると気象条件が良かったのだろうと決めつけてしまいがちだが、スタート時(12月6日6:30)の気温は25℃・湿度70%で、終盤には32℃・90%に上がっていた。
 1991年以降の気温26℃以上の五輪&世界陸上で、自己記録からの低下率の平均をバンコク大会の高橋に当てはめると、2時間11~16分台のタイムに換算できる――という記事が当時の陸上競技マガジンに掲載されている。現在の世界記録は男女混合レースではP・ラドクリフ(英国)が2003年に出した2時間15分25秒で、女子単独レースではM・ケイタニー(ケニア)が2017年に走った2時間17分01秒である。
 高橋が世界に与えた衝撃は極めて大きかった。

 高橋は2年後のシドニー五輪で金メダルを獲得し、2001年ベルリン・マラソンで世界初の2時間19分台を出した。世界一の選手であることを実証したが、実はアジア大会の頃が一番強かったという当時の関係者の話も聞いたことがある。
 翌年のセビリア世界陸上は故障でレース当日に棄権を決断したが、セビリアの練習が一番すごかったという意見もある。マラソントレーニングは厳密な比較ができる類(たぐい)のことではないが、当時の高橋が女子マラソン界で突出した力を持っていたのは確かだろう。
 アジア大会は競技環境的に、長距離種目の記録が低下することが多いが、そこで強さを発揮できれば世界陸上やオリンピックにつながる大会である。
 今の日本選手は高橋や野口みずき(アテネ五輪金メダリスト。2時間19分12秒の日本記録保持者)より、力が落ちていることは認めざるを得ない。高橋と同じようにアジア大会で独走をしろ、というのは無理な話であるが、学ぶべきことはある。
 その1つは自身の殻を破ることだ。どういうレースや取り組みが、殻を破ることに相当するかは選手と指導者が考えるべきことだが、高橋の独走は、怖がることは何もないと教えてくれている。自身の可能性を広げるチャンスと認識してほしい。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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