【世界陸上北京8月22日開幕】

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【世界陸上北京8月22日開幕】
<世界陸上北京への“つながり”@日本選手権2日目>

リレー代表を続けてきた藤光が世界陸上個人種目でブレイクへ

 藤光謙司(ゼンリン)が200 mに20秒32で優勝し、2009年ベルリン大会以来の世界陸上個人種目代表を決めた。その6年間、藤光を代表に“つなぎ”とめてきたのはリレーだった。
 特にこの2年間は、日本選手権で失敗して個人種目の代表を逃したが、国際大会のリレーで日本の窮地を救う活躍を見せてきた。13年モスクワ世界陸上は4×100 mリレーの補欠だったが、山縣亮太(セイコー)の負傷で急きょ2走に起用されて6位入賞に貢献した。昨年のアジア大会4×400mリレーは400 m選手だけでメンバーを組むことができなかったが、2走の藤光が44秒7~8の激走で一気にリードを広げ、見事に金メダルを獲得した。

 藤光は2009年のベルリン世界陸上に出場したが、200 mは2次予選止まり。4×100 mリレーは4走で、銅メダルを取った前年の北京五輪までの朝原宣治さんの後を継ぐ形となり、「自分で日本チームのアンカーがつとまるのか?」という気持ちから、4位という好成績にもかかわらず、どんな走りをしたのか覚えていなかったという。
 だが、この2009年と、日本選手権に優勝してアジア大会代表となった2010年の2シーズンは好調だった時期。2011年と12年は代表自体を逃している。「ヘルニア気味になって、腰に力が入らずふわふわした走り」になってしまっていたのだ。

 その症状が完全に治まったわけではないが、2013年からは上手く対処しながら走っている。「その日の使える筋肉で走ることができるようになった」というのが藤光の説明だ。筋肉の状態をアップなどで確認して、今日頑張ってそこを使ったらケガをする、と察知して別の筋肉を使って走る。それでも20秒5前後で走ってしまう。
 過去2年間の日本選手権も「勝つ準備はしていた」が、緊張や脱水症状などで13年は同着3位、14年は4位で個人種目代表を逃した。それでも、最低限の走りをすることはできるため、リレーメンバーには滑り込んでいる。藤光のリレー出場は日本選手権で失敗した結果であり、と同時に、故障を克服しつつあることの証明でもあった。
 国際大会のリレーでは前述のように、日本の窮地を救う走りをすることで存在感を示し、「次は個人種目で」と自身のモチベーションアップにもつなげていた。

 藤光の日本選手権優勝は過去、20秒38と当時の自己記録を出した2010年の1回だけ。レース後半は素晴らしかったと、安井年文コーチは高く評価している。だが、その走りを継続することができなくなった。
「5年前のタイムは“出てしまった”記録で、走り自体も“できてしまった”動きでした。今は自分の中で整理ができていて、こうやれば出せるという部分がわかっているし、そこに対応できる体も作ることができています」

 今季は5月のゴールデングランプリ川崎で20秒33と5年ぶりに自己記録を更新すると、1週間後の東日本実業団でも20秒35、昨日の予選でも20秒37と20秒3台を連発。今日の決勝も20秒32で、「このレベルを出すための技術は確立したかな」と言う。
「これだけ安定して走ることができていますし、今回も思い切り調整していません。さらに上の“一発”があると確信しています」
 その“一発”を世界陸上で出せる手応えを得た、藤光の5年ぶりの日本選手権優勝だった。
【すべてがつながる瞬間がある】
#日本選手権 #世界陸上
TEXT by 寺田辰朗

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