【MGCシリーズ・東京マラソン2019】

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【MGCシリーズ・東京マラソン2019】
日本人トップ、学生初のMGC出場権を獲得した堀尾謙介とは?

 東京マラソン2019(3月3日都庁~東京駅)の日本人1位は堀尾謙介(中大4年)だった。雨と低温の悪コンディションが、ハイペースで飛ばす世界トップ選手たちの体を冷やした。優勝したB・レゲセ(エチオピア)こそ2時間04分48秒と、世界レベルの記録でフィニッシュしたが、2位以下は期待を下回るタイムになった。先頭集団で走った選手の多くが後半失速し、日本記録保持者の大迫傑(ナイキオレゴンプロジェクト)は途中棄権。2位グループの堀尾も前半は好ペースを刻んだが、2時間10分21秒と日本人トップの記録としては低調だった。
 だが今年の東京マラソンは、大迫をはじめ佐藤悠基(日清食品グループ)、今井正人(トヨタ自動車九州)らの五輪・世界陸上の代表経験者、木滑良(MHPS)、中村匠吾(富士通)ら2時間8分台を持つ選手、藤川拓也(中国電力)、神野大地(セルソース)、一色恭志(GMOアスリーツ)ら箱根駅伝で名を馳せた選手たちがそろっていた。そのメンバーのなかでトップを取ったことはかなり高く評価される。
 東京マラソンが終わって28人になったMGC出場権獲得選手の中で、唯一の学生選手。半年後のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ。東京五輪とほぼ同じコースで9月に開催され、五輪代表が最低でも2人は決定する)でどんな成長を見せるのか、注目すべき選手が現れた。

●在学中の初マラソンを決めた経緯は?
 学生選手のマラソン出場が一時期より増えているのは確かだが、それでも絶対数は多くない。堀尾がマラソン出場を考え始めたのはいつ、どういったことがきっかけだったのだろうか。高校は兵庫県の須磨学園校出身。スピードのある選手を多く育成する高校で、堀尾はインターハイ5000m11位、全国高校駅伝はエース区間の1区(10km)区間13位の成績を残していた。
「トラックではラスト勝負で勝てないのですが、大学に入って1年、2年と距離を踏んでいくうちに、長い距離なら(一定の速いスピードで)押していけると感じてきました。それを生かせるのはマラソンだと思って、大学3年の時の東京マラソンにもエントリーしたんです。箱根駅伝後にケガをして出場できませんでしたが、4年生になって5000mで学生トップの記録(13分33秒51)を出すことができ、箱根駅伝2区では先頭争いもできた。スピードがついたことをマラソンに生かせると思っていました」
 高校でスピードを研き、大学に入って箱根駅伝の20kmの距離に対応したなかでも、スピードは上がっていた。
「箱根駅伝後は1月5日から軽いジョッグを始め、1月20日の全国都道府県対抗男子駅伝に向けて軽いスピード練習を入れていきました。都道府県駅伝2日後の火曜日から強化練習に入り、1月後半から2月初旬に40km走や強いスピード練習を入れ、その後は距離を落としてペースを調整して、ジョッグで体の状態を合わせてきました。箱根駅伝までも、他の選手より少し距離を多く走りましたね。みんなが30kmだったら35km走ったり、少しはマラソンに向けて土台作りをしていました」
 練習内容の詳細はわからないが、マラソン練習期間としては間違いなく短い。箱根駅伝までの期間や、日常の取り組みでマラソンにつながる部分があったのだろう。
 寒さに対してもポジティブに考えていた。レース前日に自身のTwitterで、翌日の天気予報画面とともに「これ最高のコンディションで走れるのでは」と記した。
「朝練習で氷点下の河川敷を走ったり、距離走もずっと向かい風の中で走ったりしてきました。寒さや悪天候への耐性はあったのかもしれません」
 他の選手がMGCを取ることや、ハイペースの流れに乗って記録を出すことを考えていたのに対し、堀尾はMGCこそ意識していたが、絶対に取りたいと考えていたわけではない。他の選手たちに比べ悪天候を味方にできたことが、堀尾の大きな勝因になった気がする。

●名門・中大の箱根駅伝連続出場を途切れさせた当事者
 堀尾は大学4年間で、個人で大活躍してきた選手ではない。学生の最大目標であるインカレは、5月の関東インカレ、9月の日本インカレとも一度も入賞できなかった。ただ、大学2年時に10000mで28分34秒54をマークするなど、ときおり光るものは見せていた。
 駅伝では辛い経験もしてきた。
 大学1年時は予選会は走ったものの、箱根駅伝本戦のメンバーに入れなかった。2年時の予選会は、堀尾は51位(チーム内3位)と好走したが中大は本戦に出場できず、連続出場最多記録を「87」で途切れさせてしまった。堀尾は関東学生連合の一員として本戦2区に出場。オープン参加で区間順位はつかないが、1時間12分24秒で区間最下位相当のタイムだった。
 しかし3年時から、20kmの距離でも力を発揮し始めた。箱根駅伝予選会は17位(チーム内3位)、本戦2区では1時間09分04秒の区間8位。4年時は予選会6位(チーム内1位)で、本戦2区は1時間07分44秒の区間5位。長い距離への適性を、徐々にではあるが試合でも見せ始めていた。
 卒業を目前にした今、自身の学生競技生活をどう感じているのだろうか。
「箱根の連続出場を途切れさせてしまったときは、こんな悔しい思いはもう絶対にしたくない、と思いました。その後箱根駅伝の2区も走りましたが、注目されずに終わってしまった。それでモチベーションが上がりましたね。4年間苦しい思いをしてきましたが、最後に東京マラソンで日本人1位を取ることができ、4年間やってきたことが間違いではなかったと思えた。卒業後につながる結果を出せたと思います」
 良い形で区切りをつけて、4月からはニューイヤー駅伝優勝3回の強豪、トヨタ自動車の選手として走り続ける。

●初マラソンで世界陸上代表を決めた藤原監督との共通点も
 中大の藤原正和監督は2時間08分12秒の学生記録保持者。2003年の初マラソン(3月のびわ湖マラソン)でその記録を出し、同年のパリ世界陸上代表に選ばれた(本番は故障のため欠場)。その後、低迷期間もあったが13年のモスクワ、15年北京と世界陸上に出場した経歴を持つ。
「堀尾は特別スピードがあるわけではありませんし、筋力がつくのもこれからですが、ランニングエコノミーが良い選手です。体が軽くて脚が長い。アキレス腱が長く、ケニア人に近い」
 練習姿勢に関しては、年間を通じて集中し続けることができないという。3年時の箱根駅伝2区で、前年の区間最下位相当から躍進し、そこで満足してしまった。
「マラソンで世界に出て戦うには何が必要か、7月にしっかり話し合いました。そこでもう一度覚悟を決めて、その後の練習はパーフェクトにやってくれた。練習への準備の仕方、補強、ケアなどへの取り組み方が変わり、その結果練習1つ1つの質が上がりました」
 師弟とも4年時の箱根駅伝2区を走り、その2カ月後に初マラソンを走った。「ジョッグの質を高く走るのは私と感覚が似ていますが、箱根駅伝後に休んだ期間は私の方が2週間と長かった。都道府県駅伝に出なかったことも対照的です」
 師弟の初マラソンへの準備には、共通点と相違点があるようだが、初マラソンで“次”への切符を取ったことは同じ状況といえる。
「自分は実業団に行って、環境にアジャストできずにケガをしてしまいました。実業団では最初、“やらなければ”という気持ちになるものですが、堀尾は疲れがうまく抜ける方ではないので、導入のところは一緒にやりたいと思っています。しっかりと橋渡しをしてあげたい」
 今回のマラソン練習が「序の口」(藤原監督)だったことも、共通認識としてしっかり持っている。堀尾は「マラソン練習をそんな積めていない状態で今日の結果を出せたので、トヨタ自動車で“これがマラソン練習だ”という練習をしてMGCに向かって行けば、暑さの中でも今日のタイムを超えていける」と意気込む。
 藤原監督は「これからもっと体ができていけば、2時間7分台、6分台、そして5分台も期待できる。心理的な壁がなくなって、日本のマラソンはそのレベルまできています」と、堀尾の将来に期待する。
 悪天候で散々な結果に終わった今年の東京マラソンだが、マラソン界に新たな希望が芽吹いた大会になった。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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